2019/02/17

札幌の思い出 4 (金魚の養殖と釣り堀)

 先の投稿で金魚の養殖とニジマスの釣り堀について触れたので少し思い出を辿ってみたい。

 市電ロープウエイ入口電停から藻岩山の山麓に向かって歩くと左側に山元公園という小さな公園がある。
 かつてこの山元公園と環状通りの間に金魚の養殖をしている家があった。
 詳細な場所については思い出せないのだが、幼稚園入園前なので昭和35~36年の頃だったと思う。
 当時はこの公園もまだ存在せず、周囲の家もまばらで畑作地も多かった。
 伏見の野菜、山鼻林檎などとして当時は農家も点在していた頃である。

 大がかりな養魚施設という訳ではなく民家が軒先で育てているような感じである。
 金魚スクイで使うような赤い小さな金魚を養殖していた。
 いくら天然の水で冬は凍結しないとはいっても、冬は雪が積もり極端な気温低下もあるので冬季間は大きな蓋をしていた。
 もっとも冬にここに行った記憶がないので冬も養殖していたのかはわからないが。
 ひょっとしたら雪が降るまでに出荷して冬はお休みしていたのかも知れない。

 家で金魚を飼うことになり、とは言っても当時の南19条近辺には今でいうところのペットショップなどあるはずもない。
 そこで母親に手を引かれ、バケツを持って金魚を直接買に行ったわけである。
 母親はこの土地の地娘であったので店主とはお互い旧知の間柄であったのだろう。
 自分は早く家に帰りたかったのであるが母親が話し込んで中々腰を上げなかったことを覚えている。
 暑い頃であったので帰りに雪印の赤いカップに入ったアイスクリームを買ってもらったことを覚えている。
 現在の西16丁目バス停の辺りに駄菓子屋だか万事屋だかがありここで買ってもらい店先の椅子に座って食べた。
 当時の山麓通りは砂利道であり(また宮の森方面にも通じていなかった)、山に向かって左側には山麓通り直下に道路に沿って結構な水量の小川が流れていた。
 山麓通りが大きくカーブし、現在、藻岩山方面と分岐する辺りの道路下から勢いよく水が噴出していたので当時は藻岩浄水場からの排水であったのかも知れない。
 この小川に板を渡してその駄菓子屋だか万事屋だかの店先の一部にしており、座った椅子の下の板の隙間から水の流れが見えていた。

 少し時代が下がり、自分が幌南小学校の低学年の頃であるから昭和40年初頭のころであると思う。
 先ほど述べた山麓通りのカーブを曲がらずに、そのまま真直ぐ進むと支援学校(当時は札幌盲学校)が存在する。
 この前の通りとかつて存在した藻岩山ドリームランドの間にニジマスの釣り堀が存在していた。
 自分が手稲に引っ越す前には既に廃業していたので稼働していたのは1~2年のわずかな期間であったと思うが。
 何しろ面白いように釣れたことを覚えている。
 餌をまともに与えていたのかが疑わしいような釣れ方である。
 釣った魚はリリース禁止であり全て重量単位で買い上げなければならないので親は渋い顔をしていた。
 今であればそれなりに釣り自体を楽しむことができるように釣り堀も色々考えるのであろうが…。
 あんなぼったくり的な商売を行っていれば客は寄り付かなくなる。

 そういえばこの支援学校の周囲はいまでは静素な高級住宅街となっている。
 学校が先で住宅が後から立ったのが原因ではあろうが高級住宅街に住む真のセレブは周りに寛容なものである。
 間接的にではあっても弱者に手を差し伸べるのがセレブの気概ではなかろうか。
 この場所ではお互いに支援学校と住宅街が協調してうまくやっているようである。
 東京の南青山では自称似非成金セレブ達が建設反対運動を行っているが、昔からの住民には意外と建設賛成派が多いという話が時事話題となっている。
 金満家こそ弱者に手を差し伸べるべきであると思うのだが…。
 お里が知れるというものである。

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2019/02/02

札幌の思い出 3 (旧山元町界隈と水辺の思い出)

 市電の電車事業所(車庫)は現在藻岩山の麓というよりもまさに山肌直下に存在している。

 藻岩山はロープウエイの下あたり(旧町名・山元町界隈)では道路脇からそのまま直立したイメージになっている。
 確かに山元町というのは言い得て妙な町名であったのだが…。
 今では町名も変わり閑静な住宅街になっているようである。

 現在の電車事業所は元々この場所に存在していたものではなく南2条の石山通り近くから移転してきたものである。
 その移転元の跡地には現在、札幌プリンスホテルが建っている。

 旧山元町、この辺りは水が豊富な場所だった。
 これについて幼い頃の記憶を掘り起こしてみたい。

 昭和30年代は藻岩山直下の市道と現在の電車事業所とが接する辺りには溜池だか水源池だかが在り水が豊富に存在していた。
 現在の電車通りと電車事業所に挟まれた三角の場所には一時釣り堀も存在していた。

 元々札幌は豊平川扇状地の上に市街地が形成されており地下水が豊富な街である。
 この旧山元町界隈は藻岩山からの伏流水が湧き出していた場所なのかも知れない。
 何件かの家で金魚の養殖が行われており母親に手を引かれて金魚を買いに行った記憶がある。
 多分冬でも凍らない水源であったのだろう。
 また今は無き藻岩山ドリームランドの横にはニジマスの養殖場と釣り堀も存在していた。

 今でも藻岩山は沢水も豊富で藻岩山直下の市道を歩くと側溝から勢いよく流れる水の音が聞こえてくる。
 この沢の流れについてだが多分小学校2~3年の頃だと思うが、悪童たちとつるんで物凄い悪戯を行った。
 スコップを担いで沢に入り沢水の流路を変えてしまったのである。
 恐らく今流れている沢はこの時の変更後の流れのままだと思う。
 子供は流れる水での遊びと土木が好きなものである。。。。
 長閑な時代だったしもう時効である。

 電車事業所が建設される前は前述の池と畑と田んぼがあり、開発に伴って耕作が放棄されたあともしばらく池は残っていた。
 周辺には水の豊富な天然の側溝がありドジョウやらゲンゴロウやら水棲生物が豊富に住んでいた。
 山に入った沢にはザリガニが豊富で良くザリガニ採りにも言ったものである。
 まだアメリカザリガニが席巻する前なので在来種のザリガニであったのだろう。
 赤くないザリガニであった。
 この辺りは小学生にとり水棲生物と戯れることができる貴重な場所だったのである。

 ザリガニ採りといえばこんな思い出がある。
 現在の福住通りを電車事業所から南へ歩いたところに、恐らく現在の花まる寿司の少し先だと思うが、かつて自衛隊の小さな弾薬庫だか火薬庫がありその金網フェンスの脇を登っていくとザリガニが沢山とれる沢があった。
 当然バケツにザリガニを入れて帰るのだが、途中つまずいて金網フェンスの隙間からバケツが敷地に転がり落ちた。
 慌てて金網をよじ登ってフェンスの中に入ったところ隊員に捕まってしまったのである。
 隊員が肩から担いでいた小銃の記憶を今でも鮮烈に覚えている。
 まあ小学生なので笑って許してくれたのであるが今考えるとバケツが転がる隙間があり、小学生でもよじ登れる 自衛隊施設てどうだったのであろうか。

 とにかくこの辺りは水が豊富な場所であったことは確かである。

 幼い頃の遊び場所であったので何年かおきに札幌へ行った際はこの近辺をぶらぶら歩きをしている。


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2019/01/29

札幌の思い出 2 (市電の散水車)

前回、夏は市電が砂埃を巻き上げて走っていたことを書いた。
実は札幌市電にはかつて散水車が在籍していた。

札幌の夏はカラリとしている為、昔はとても砂埃が舞いやすい街であった。
そのため未舗装路の中央に線路を敷いて走る路面電車は砂埃を巻き上げながら走るものであった。

散水車のイメージは巨大なドラム缶のような水タンクを横に寝かせて下に台車を履かせた裸両運転台の車両である。
そうそう、JRのタンク車の両側に運転台を付けたような感じである。

当時は市電全盛時代であり路線長が相当長い市電路線全体を走り回っていたので、なかなか見かけるタイミングは少なかった。
こいつを見かけたときは、新幹線のドクターイエローを見かけた今の子供達と同じくらい大はしゃぎし、後を走って追いかけたものである。
何しろ散水しながら走るのでスピードが遅く、幼児でも走って追いかけることができたのである。

おぼろげではあるが、何かの祭りだかイベントだかのときに、この散水車がコテコテに飾り付けられた花電車に変身していたのを見た記憶がある。

幼稚園に入る前の頃だと思うので昭和30年代後半の頃であったと思う。


何年か前に札幌に帰省した際、市電の資料館(地下鉄高架下にあるやつ)に寄ったのであるがこいつはいなかった。
模型でも写真でもなんでも良いからこいつの活躍を案内して欲しかったと思う。

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2019/01/27

札幌の思い出 1 (三越、丸井前の長靴洗い場)

当ブログを前回更新してから相当期間が経ったものだ。
まあその間色々とあったのだが…。

今は関東に住んでいるのだが自分もいつなんどき何がおきるかわからない年齢になりつつある。

そこで自分自身の思い出振り返りの意味も含めて少年時代を過ごした札幌の記憶をつぶやいてみようと思う。

昭和30年代は札幌市内も舗装路は少なく濡れると泥道になるところがほとんどであった。
当時市電のロープウエイ入口の電停近く(当時は郵政研修所前)に住んでいたのであるがやはり周囲は未舗装路ばかりであった。

夏は市電が砂埃を巻き上げ、また現在の清掃車に相当するごみ回収馬車がガタゴトと闊歩していた時代である。

当時の冬の履物といえば大人も子供もゴム長靴である。
何しろ雪が溶けると道路といえどもあたり一面ぐちゃぐちゃになる訳である。
(今と違って当時は防水に卓越したものはゴム長靴以外に無い。)
当然長靴も泥だらけになる。

年に何回か親に連れられて三越デパートか丸井デパートに行くのだが当時はデパートの入口脇に長靴洗い場がありデパートに入店する前に来店者は長蛇の列を作り長靴を洗い泥を落としていたものである。
イメージとしては金魚すくいの生簀を地面に置き、その中で洗車ブラシで長靴を洗うイメージである。

小学校に上がるころには舗装路も増えたせいかこの洗い場もなくなったのであるがある意味冬の風物詩ではあったと思う。


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2015/11/03

秋は学祭

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秋は学祭のシーズンである。
少しだけ「ほんわか」した気分を味わってきた。

特別講義があったので受講してみたのだが学生に戻りたい気持ちになってしまった。


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2015/05/06

今年の薔薇

今年も春薔薇が咲いた。
昨秋からは忙しくて手入れができなかった為、それなりにしか咲かない。

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2015/04/30

小石川後楽園

初夏を思わせる陽気の中、初めて小石川後楽園に行ってきた。
そう、東京ドームのすぐ隣に存在する水戸徳川家所縁の日本庭園である。
以前から行きたかったのであるがなかなか行く機会が無かった場所である。
この庭園はそう広くは無い敷地なのだが、山(もどき)あり、渓谷(もどき)あり、池(本物)ありで意外と見ごたえがある。
ドームでナイターを観戦する前にちょっと立ち寄っては如何?

由来
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円月橋、丸い中に満月が映えて美しいらしい
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露出の関係で明るく見えるが実物は深山幽谷もどき
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ビルと庭園の対比が美しい
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2014/07/17

ピンク・フロイド トリビュート・ショウ

https://www.youtube.com/watch?v=qYbm096uzEc

The Pink Floyd Tribute Show (2011)

ユーチューブで公開されているピンク・フロイドのコピーバンド、Brit Floyd Band ライブ映像である。
2011年に演奏されたものである。

2時間以上におよぶ大作であるが、夏の夜、若かりし日々を思い出しながらビールを片手に鑑賞するには最適である。

(思いっきり本家以上のパフォーマンスかもしれない)

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2014/05/11

今年の薔薇

 我が家の薔薇である。
 昨シーズンは異様に仕事が忙しくてほとんど薔薇の手入れができず、花も期待外れの状態であった。
 しかし今年は多少なりとも薔薇の手入れができる状態になった。
 剪定、施肥、追肥、消毒等、手をかけると綺麗な花を咲かせて期待に応えてくれる。

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2013/09/13

ティオ・ぺぺ何年振りだろ!


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ティオ・ぺぺが激安で売られていたので買ってしまった。
こいつのを飲むのは何年ぶりであろうか。
見かけることもなくすっかり失念していたせいもあるが20年以上は飲んでいないはずである。

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